月かげ

 

南無阿弥陀仏フォントの最後の「仏」という文字には

三日月の形を入れたのだが、こちらは浄土宗宗歌の「月かげ」よりイメージした。

 

 

月影の いたらぬ里は なけれども

 

        眺むる人の 心にぞすむ

 

                     法然上人

 

 

意味は、月の光が届かない里はないけれど、

それを眺める人の心があってこそ、その美しさを感じる事が出来る。

 

闇夜を照らす月の光には差別は一切なく、

あらゆる場所を平等に分け隔てなく照らす。

しかしどんなに月の光が照らしていても、

月を眺めようとしない人に、月の素晴らしさは決して分らない。

 

(月の光は阿弥陀仏の救いのことを意味している)

 

育ってきた環境だろうと思う。『月かげ』は譜面を見ずとも口ずさめる。

 

 

 

以前「クンドゥン」というダライ・ラマの生い立ちの映画を観た。

亡命するシーンのラスト、

インドの国境検問所にたどりついたダライ・ラマが、

 

インドの国境警備兵から

「敬意をこめてお伺いします。あなたは誰ですか?」と問われ、

 

「私は月の影だ。水面に写る月の影。善を行い、自己にめざめる努力を続けている者だ」

と答えるシーンがとても印象的だった。

 

同時にすぐ、『月かげ』を思い出した。